アメリカン・サモアの沖で発生した
マグネチュード8.0 の大地震のニュースが
ラジオで飛び込んできたのは3日前
TSUNAMI 警報!
(写真は1960年5月23日深夜1:05分のチリ津波のメモリアル)
**
その日は午後からカラパナに釣に行く予定だったが
もちろん中止!
*
(この建物は他の二本向こう側の通りから流されてきた)
**
津波がすぎた後だと溶岩海岸は
崩落の危険が大きいので
海岸線は立ち入り禁止になる。
*
(ダウンタウンから現在のホテルのあるバニアンドライブは全滅)
**
幸いにも11時ごろ津波警戒は解除されたが
ビーチパークは翌日の朝までクローズ。
*
(ホテルの前のゴルフ場には集落や劇場も有って
その昔には美空ひばりも来たそうですよ)
**
ヒロ湾のすべての船は沖に出てゆく
停泊してると陸に運ばれてしまうから
どんどんドンドン沖に出てゆくそうだ。
*
(TSUNAMI博物館には1946年のアリューシャン列島地震のときの津波と
1960年のチリ沖地震のときの津波のメモリアルです)
**
幸いにも警報解除が早かったので
静かなヒロ湾だった。
*
神戸で震災を経験してる僕にとっては
緊張の1日でした。
何事もなかったことへの感謝と
今回アメリカンサモアで被害にあった方がた
(ヒロとホノカアの間にあるLaupahoe hoeの小学校では
1946年4月1日に多くの生徒と先生がなくなった)
*
そしてこの島で2回の大津波でなくなった方々への
追悼の祈りを込めて
このブログ書きました。
*
スマトラやサモアでの地震おどろきました。
ハワイや日本にも津波注意報が出て心配しましたが
何事もなくほっとしています。
阪神の地震の時は身近に被害にあった方がいらっしゃったので
今でも鮮明に記憶が蘇ります。
自然の力とは本当に怖いです。
そうそう、月下美人のその後はいかがですか?
本当、自然の恐ろしさを感じます。
ヒロの津波には興味を惹かれ、津波ミュージアムにも行きました。
私の記憶が正しければ・・・津波ミュージアムは、元ファーストハワイアンバンクだったと・・・。
その近くのケアウェ・ワイルク橋が、その津波の中,流されずに形を留めて残った橋だと、
我が家のフォトアルバムにはあるのですが・・。
買って帰った資料を見ると、ヒロのあまりの無残な姿に、心が痛みます。
地震の事は、ニュースで知りおどろいています。
私の義妹は、西宮に嫁いでおり、知り合いは神戸で、住宅全壊でした。
ですので、阪神大震災の状況も把握しております。
私自身は、子供の頃に、宮城沖地震を体験しております。
自然災害は一瞬ですものね・・・
陸に運ばれてしまうからといって、その状況で沖に出て行かざるをえない・・・
私は、その船を見ることはできないような気がします。
このような出来事、そしてkenjiさんからの発信。厳粛に受けとめますね。
kenjiさんも お気をつけ下さいませね・・・
しばらく「MOI」は、あきらめなさい((+_+))・・・ですよ。
アケミさん
天災は忘れた頃にといいますがハワイの場合もう50年近く
津波は来ていないので、逆に怖いですね。
月下美人は今年は3回も咲いて、先週の土曜日がいっきに55輪
今、迷子の1輪だけが鎌首を、、、明日の夜かな?今年の最後でしょうね。
Manaさん
地震は3年ほど前にコナ沖で結構大きいのが、、、、。
太平洋プレートに乗って西に動いてるんだからいつ有っても
不思議ではないので、、、、。
また、津波は太平洋の何処で起きてもハワイにはそれなりの警戒が必要ですね。
ミュージアムに行かれたのですね。地もピーとしては嬉しいですよ。
ほとんどの観光客は興味を示しませんから、、、、。
Ku’i♪ママさん
暫くは釣には行きません、ママ。 約束します。
確かに危険回避とはいえ高さがビルの10階分ほどある
波に向かって沖に出るって、考えられない勇気でしょうね。
CNNでは今回のサモアの被害者は1000人を越えたとか、、。
冥福を祈るしかありません。合掌。
サモア地震、私もビックリしました。
通っているHalauのAlakaiの一人がサモア出身でご両親がまだ向こうに住んでいるらしく、
大変な状況を聞きました。いろんなものが必要らしいので、みんなで色々寄付する準備をしています。
ハワイ島から離れているのに、津波警報、ハワイ島でも出るんですね。
津波の影響が無くてよかったです。
理恵さん
災害は本当に怖いですね。でもそこで生まれる人の温かさもね
僕が神戸に居る時にカワイ島のハリケーン「イニキ」の被害に
僕が当時所属していた神戸ハワイアンクラブから義捐金を送りました。
後の神戸の震災の時にはカワイ島のミュージシャン達が「KOBEサンライズ」
と言うCDを造り、その売上金が神戸に届きました。
当時の市長KUSAKAも
彼女自身の作詞で被災した子供たちに子守唄をレコーディングしてくれました。
この心の交流が被災者同士に留まらず世界中に発展して欲しいものですね。