Pu’u ’O’oからの溶岩流が

Pahoaの町の はずれに有りましたが

そのほとんどが 6月27日から噴火している

溶岩流で埋まってしまいました

セキュリティー上 入れないエリアに

パホア日系人会の会長のクレイグSHIMADAと

墓苑担当責任者のキャリーTANOUEと同行して

カウンティーの専用車に乗って

立ち入り禁止区域に入ってきました

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物々しい警戒の中 車は

パホアビレッジ・ロードから西にそれて

アパア・ロードを走り

途中では 溶岩流の先端が

私有地に中を焦がしている傍を通って

セミタリ―・ロードを行くと

行き止まり!

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道が溶岩に埋まってしまっているところから

1週間前に流れたばかりの溶岩の上を

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溶岩を知り尽くしたレインジャーに

「僕から離れたらダメだよ」 言われて

サクサクと踏みしめながら

落ちないように

こけないように注意して。。。

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割れめを覗くと

わずか60cmほど中には真っ赤なマグマ

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墓地に近づくにつれて

溶岩だだんだん暑くなり

顔はヒリヒリ

やっと墓苑にたどり着きました

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 このあたりはまだ4日も過ぎていませんよね

無残です

墓石が飲み込まれてしまっています

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まだ溶岩の熱で湯気(GAS)が

墓石を包むように。。。

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連れて行ってくれた

4人のメンバー(左右が日系人協会、中央はカウンティー・レインジャー)に感謝

日系人会の資料作りのお手伝いです

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TANOUE氏・HOSAKA氏・FRANCISCO氏・SHIMADA氏

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この墓石は

昨年に立て替えたばかりだそうで

数日前には

避難のために町を立ち去るファミリーの供えた花が

何故かもの哀しく。。。。

写真を撮りながら

涙が出てきました

1905年には

250以上の碑が有ったそうですが

年月と共に無縁仏になり

昨年は109碑だったそうです

合掌

(車まで帰って来た時は肌がヒリヒリ

HOSAKA氏の靴底は少し溶けていました)