日本の歴史を非常に興味を持ってる
男たちがハワイから来ている
日本酒に神社仏閣、そして
サムライの歴史を紐解いた
小雨のふる中 須磨寺の参道を歩いていくと
彼らにも歴史の重さが体に伝わるのか
神妙な顔で無口になっていた
以外だったのは仁王門に有った
千羽鶴に関心を持っていたこと
平の敦盛と 熊谷直実の
戦う武将の姿に
足を止めて見入っていたのが印象的だった
須磨寺には熊谷直実に討たれた
敦盛の首塚が祀られている
句碑、歌碑は24碑あるので文学歴女には
楽しい散策の境内かもね
「ひとすじに こころこめたる ことならば
ちよのしらべも たえじとぞおもう」
三重塔には四国八十八箇所のお砂踏みも
有るので
四国どころか小豆島八十八箇所にも時間の無い方は
是非お参り下さい
一弦琴が奏でる
「一の谷の戦やぶれ 討たれし平家の、、、、」
本坊から流れていたよ
本堂での読経を
須磨の森に降る霞雨が包み込んでいた
*
「ボーナス・フォト」
僕はクム・フラの事を 神の声を平民に伝える人で
日本で言う神主のようなものだよ、と説明するが
僧侶と言った方が解りやすいのかな?
*
kenjiさん、こんにちは!
須磨寺、いつか行ってみたいです!
平敦盛は笛の名手で、美しかったそうですね(享年17才とは!!)。
敦盛と直実の像は、平家が劣勢になって逃げる敦盛に、直実が『敵に背中を見せて逃げるとは、卑怯だ』と声を掛けて、敦盛が引き返してくるところなんですって。
そして、直実に首を討たれてしまうわけですが、一児の母としては、名誉とか誇りとかはどうでもいいから逃げて生きて欲しいと思ってしまいます。
敦盛を討った直実は、敦盛が自分の息子と同じ位の年だったことに心を痛めて、後に出家したんですよね。
なんとも胸の詰まるエピソードのある須磨寺。
歌の書いてある碑も、ひとつひとつじっくり見てみたいですー。
神戸にも素晴らしいところは沢山ありますね!改めて、「神戸」を感じました!有難うございます。須磨寺は長いこと行ってませんが……義経の腰掛けた松… なんかもありましたよね? また久々に行きたくなりました。ヒロのご友人にも、きっと神戸の素晴らしさを解ってもらえた事でしょう!Kenjiさん、お疲れ様でした。
ちびねこさん
おやおや、さすがは歴女!お詳しいですね。
この時代の伝話はもの悲しいものが多いですよね、、、、。
碑に刻んでいる歌も悲しいものが多かったような気も致します。
門を入った直ぐの蓮生院の住職は親友の富永龍心氏でしたが、
震災の朝 彼は子供さんに覆いかぶさって逝ってしまいました。
先日訪れたときにも奴の声が聞こえた気がしましたよ。
あれから15年、当時小学生の双子の男の子はお二人とも住職になったと
聞いています。海外からのゲストを必ず須磨寺に案内させてもらい
奴を偲んでいます。
HULAおばさん
そうそう、義経の腰掛けた松ノ木がありました。(本当かね?)
僕の知っている海外ゲストは奈良、京都にはお寺が多すぎて
困惑気味で、近場の須磨寺と兵庫大仏、、、そして生田神社が
お手軽スポットです。
特に須磨寺は三重の塔もあるのでパーフェクトなのです。
霧のため「明石ブリッジ」が見えなかったのが残念でしたが、、、。
kenjiさん、おはようございます。
ご親友の住職さまは、お子さんを守って亡くなられたのですか。胸が熱くなるお話ですね。
私もそうありたいと思います。
ちびねこさん
そうなのです、龍心はお勤めのために本堂で寝ていて
末っ子の女の子がお布団に入ってきて、、、、、
奴はお嬢ちゃんを守って落ちてきた梁の下敷きになって、、、
いい奴だったのですよ。坊主になる前に基督教大学にも行ったし
ヒンズー今日の勉強にも行ったし、宗教サミットの
中心で頑張っていた姿が今も思い出します。
須磨寺町には小学校四年生まで住んでいました。毎日、毎日、境内であそんだものです。いたずらをして、坊さんにしかられたこともあったっけ。
なつかしかったです。ありがとうございます。
今は、はるかかなたの信州に住んでいます。
Mizさん
はじめまして!ようこそお越しくださいましたね。
信州にお住まいだとか、、、ぜひまた神戸を訪れてください
そして ハワイにも来る機会を設けてね
その時はぜひお会いしましょう。
須磨寺のお話をしたいものです。